堤真一の若い頃の挫折体験?役者志望ではなかった驚きの過去とキャリアの始まり!

堤真一さんといえば、日本を代表する実力派俳優として数々の映画やドラマで存在感を放っています。

シリアスな役からコミカルな役まで、その演技の幅広さで多くのファンを魅了しています。

しかし、そんな堤さんにも若い頃には意外な挫折や迷い、そして役者志望ではなかった過去があったことをご存知でしょうか?

今回は、

  • 堤真一の若い頃の挫折体験とは
  • 堤真一は役者志望ではなかった?
  • 堤真一の役者としてのターニングポイントとは?

これらについて紹介します。

それでは行きましょう!

目次

堤真一の若い頃の挫折体験とは

出典:シスカンパニー

堤真一の若い頃の挫折体験とは、どのようなものだったのでしょうか?

堤さんは1964年7月7日、兵庫県西宮市に生まれました。

中学・高校時代は野球部に所属していましたが、中学最後の試合で骨折しプレーできなくなり、高校でも「つまらなくなって」夏休み中に退部しています。

当時は「特にやりたいこともなかった」ため、一時期は学校にもほとんど通わなくなっていたそうです。

中学と高校で野球をやっていて、中学の最後の試合で骨折して出られなくて、高校ではやるつもりはなかったんですけど勢いで野球部に入ってしまって、結局つまんなくなっちゃったんですよね。夏休み中に辞めたら練習がきつくて逃げたと思われるので、9月に辞めようと思って(笑い)。辞めても特にやりたいこともなかったので、そこからほとんど学校も行かなくなってしまって。

出典:MANTAN WEB

高校卒業後、明確な目標もなく、たまたま千葉真一主宰のアクション養成所「ジャパンアクションクラブ(JAC)」に入所し真田広之の付き人をしながらアクション俳優を目指しました。

しかし、けがに悩まされる下積み時代を過ごしたそうです。

堤さん自身も「挫折だらけだった」と振り返っており、養成所では皆が練習する中、自身だけ怪我の治療に追われる日々だったと語っています。

今や話題作に数多く出演し、引く手あまたの堤さんでも「挫折だらけですよ」と笑う。「たまたま体を動かすことだったら、とアクションの養成所に入ったら、けがばっかりして、みんなが練習しているのにリハビリみたいなことばかりやっていた。

出典:MANTAN WEB

堤真一は役者志望ではなかった?

出典:日本経済新聞

意外にも、堤真一さんは当初は裏方(スタントマン)志望で、最初から役者になることを志望していたわけではありませんでした。

そもそも堤さんは、特別ドラマや演劇が好きだったわけでもなく、人前に出るのも苦手で、役者が仕事という感覚が希薄だったと語っています。

僕の場合は、役者になりたくて東京に出てきたわけじゃないんです。ドラマや演劇が好きだったわけでもない。人前に出るのも苦手なのに、たまたま役者になってしまった。だから“仕事”という感覚がずっと薄かったんです。

出典:GOETHE

若い頃の堤真一が役者としての道を真剣に考えるようになったのは、ある出会いがきっかけでした。

「たまたま坂東玉三郎さんの舞台に関わる機会をいただいて、その世界観に圧倒されました。それがきっかけで、一生舞台に関わっていこうと思ったんです」と述べています。

「舞台稽古で照明の中、玉三郎さんがスッと出てきた瞬間、『こんな美しい世界があるんだ。僕は舞台にかかわろう』と思った」。それが、裏方志望だった堤が舞台の世界を志すきっかけになった。

出典:MBSコラム

堤真一の役者としてのターニングポイントとは?

出典:exciteニュース

堤真一さんの役者としてのキャリアには、いくつかの重要なターニングポイントがあります。

まず最初の転機は、前述した坂東玉三郎との出会いで、舞台俳優として生きる決意をしたことでしょう。

次に大きな転機となったのは、30代に入ってからのことです。

堤さんは20代の頃、「舞台を中心にやると決めていた」そうですが、30代になって初めて連続ドラマに出演しました。

それがフジテレビで放送された「ピュア」という作品でした。

堤さんは主演の和久井映見さんの相手役を務めていましたが、撮影の際に監督やスタッフの熱意を目の当たりにし、そこからは一概に”連ドラ”という括りで決めつけるのはやめようと思ったと語っています。

初めて連ドラに出演したのは「やまとなでしこ」の前に、同じくフジテレビで放送された「ピュア」という作品。主演である和久井映見さんの相手役だったのですが、撮影期間に監督やスタッフさんともすごく仲良くなれて、皆さんが熱量高く、力一杯頑張っている姿を目の当たりにして、そこからは一概に“連ドラ”という括りで決めつけるのはやめようと思いました。

出典:ファッションプレス

そして、堤さんの演技哲学にも大きな影響を与えたのはイギリス人の演出家デヴィッド・ルヴォー氏との出会いでした。

堤さんが舞台中心に活動をしていた頃、ルヴォー氏から舞台のお客は俳優ではなく、物語の人物の関係性を見に来ていると叩き込まれたと語っています。

この教えは堤真一さんの俳優としての姿勢に大きな影響を与え、彼の演技スタイルを形作ったと言えるのではないでしょうか。

「デヴィッドに言われたのは、『お客さんは(俳優ではなく)役と役の関係性を観にきている。舞台で起きることを観にきている。セリフは自分の役を説明する道具ではなく、相手の心を動かすための道具として使え』と。デヴィッドに教わったことが僕の基本です」としみじみ振り返った。

出典:MBSコラム

まとめ

堤真一さんは、若い頃に野球や養成所で多くの挫折を味わいながらも、予期せぬ形で役者の道を見つけました。

元々は俳優志望ではなく裏方志望でしたが、名優・坂東玉三郎さんの舞台に触発されたことが大きな転機となり、演技の道へ進むことになりました。

若き日の苦難と決意が堤さんの原点となり、それが今の演技派俳優としての活躍につながっています。

その人生は、迷いや苦しみを抱える人にとって大きな勇気と希望を与えてくれます。

今後も堤真一さんのさらなる活躍に注目です。

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